展覧会概要
このたびの展覧会では、音楽や物語を感じさせる豊かな作品世界を展開させた岡山県ゆ かりの作家、有元利夫、直子、斎藤真一の作品を紹介しています。 画面に音楽が漂うかのような作品を描いた有元利夫。古代日本の神話的世界に基く幻想 譚を紡いだ瓜南直子。盲目の女性旅芸人・のシリーズを描いた斎藤真一。それぞれ個性あ ふれる作品を、有元・瓜南あわせて約60点、斎藤約60点展示しています。 本サイトでは下記のとおり、斎藤の《越後瞽女日記》に焦点を当てて紹介します。
会期
2023年10月7日(土)〜12月17日(日)
月曜日休館
(ただし休日の場合開館・翌日休館)
会場
倉敷市立美術館2階
第2・3展示室、展示コーナー
主催
倉敷市、倉敷市教育委員会、
倉敷市立美術館、山陽新聞社
観覧料
一般 1,000(900)円、
65歳以上 800(700)円、
高大生 600(500)円、
中学生以下 無料
( )内は20名以上の団体料金
盲目の女性芸人・瞽女(ごぜ)は、農村から農村へ旅しながら三味線を弾いて唄い、生 計を立てていました。しかし戦後の環境の変化と共に、姿を消していきました。 倉敷市出身の洋画家・斎藤真一は、1964年から15年以上の間、越後(新潟県の旧国名) に通い瞽女について取材し、代表作〈瞽女シリーズ〉を制作しました。 斎藤の名を一躍有名にした〈瞽女シリーズ〉は、〈越後瞽女日記〉、〈津軽じょん から瞽女日記〉、〈お春瞽女物語り〉と、3つのテーマ順に発表されました。中でも 、素描と文章による〈越後瞽女日記〉の絵日記は400枚以上にのぼり、瞽女の貴重な記 録は勿論、彼女らの生活を支えた農村の人々との心の交流も伝えています。 このサイトでは〈越後瞽女日記〉から、絵日記を中心に絵画作品とあわせて紹介し ます。斎藤が記録し留めようとした、失われた日本の文化と心を伝える一助となれば 幸いです。
洋画家・エッセイスト。1922年、倉敷市に生まれる。1948年、東京美術学校(現東京藝 術大学)卒業、岡山・静岡で中学・高校教諭をするかたわら制作をする。1959年、渡仏 。藤田嗣治と親交を得る。帰国後ジプシーなどをテーマに〈さすらいシリーズ〉を制 作。1961年より東北・北陸地方を訪れ、盲目の旅芸人・瞽女をテーマにした連作を手 がける。また、明治期の吉原遊女をテーマに連作し、「明治吉原細見記」「絵草紙 吉原炎上」を出版、映画や舞台で上演される。晩年は〈街角シリーズ〉の制作に励む 。1994年逝去。
年譜
expand_more斎藤 真一 年譜 | |
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1922(大正11)年 | 7月6日、斎藤藤太郎と益の長男として岡山県児島郡味野町(現・倉敷市)に生まれる。 |
1940(昭和15)年 | 岡山県立天城中学校を卒業。 |
1942(昭和17)年 | 東京美術学校(現・東京藝術大学)師範科に入学。 |
1943(昭和18)年 | 学徒出陣。 |
1946(昭和21)年 | 東京美術学校に復学する。 |
1948(昭和23)年 | 東京美術学校を卒業。 静岡市立第一中学校に赴任。 第4回日展に《鶏小屋》が初入選。以後1951年(第7回展)まで出品。 |
1949(昭和24)年 | 岡山県味野中学校に転任。 |
1950(昭和25)年 | 岡山県立天城高等学校に非常勤講師として勤める。 |
1952(昭和27)年 | 光風会第38回展に《閑窓》が入選。 |
1953(昭和28)年 | 静岡県立伊東高等学校に着任。 |
1954(昭和29)年 | 光風会第40回展に《薫風》が入選。以後1958年(第44回展)まで出品。 |
1957(昭和32)年 | 光風会第43回展に《立春の道》を出品し、 プールブ賞を受賞。 |
1958(昭和33)年 | フランス留学費用捻出のため伊東、静岡、岡山で個展を開く。 |
1959(昭和34)年 | 船で横浜からマルセイユまで行き、フランス留学する。 ドイツ、オランダ、ベルギー、イタリアを原動機付自転車で旅行。滞欧中、藤田嗣治と親交を結ぶ。 |
1960(昭和35)年 | 帰国前、藤田嗣治から、秋田や東北を描くよう勧められる。 帰国後、初の個展 (文藝春秋画廊)を開く。 |
1961(昭和36)年 | 津軽で津軽三味線の音色に魅せられ、宿の古老から瞽女のことを教えらる。 |
1962(昭和37)年 | 瞽女に惹かれ、盲目の女性を描く。 |
1964(昭和39)年 | 高田瞽女最後の親方である杉本キクエを初めて訪ねる。 翌年より約10年間、休暇のほとんどをさいて瞽女を取材するため越後に通う。 |
1970(昭和45)年 | 「越後瞽女日記展」 (羽黒洞主催、文藝春秋画廊)を開催。 |
1971(昭和46)年 | 第14回安井賞展に《星になった瞽女(みさお瞽女の悲しみ)》を出品し佳作を受買。 18年間勤めた伊東高等学校を退職。 |
1972(昭和47)年 | 「瞽女=盲目の旅芸人」(日本放送出版協会) 、 「越後瞽女日記」(河出書房新社)を刊行。 |
1973(昭和48)年 | 「瞽女=盲目の旅芸人」で第21回日本エッセイストクラプ賞、「越後瞽女日記」でADC賞(美術出版社)を受賞。 映画「津軽じょんがら」(斎藤耕ー監督)のための挿入絵を制作し、考証にあたる。 劇団文化座による「越後替女日記」の考証をする。 |
1974(昭和49)年 | 「津軽じょんがら―瞽女日記展」(上野松坂屋)開催。 「津軽じょんがら-瞽女日記」(大西書店)刊行。 |
1975(昭和50)年 | 第1回フランス賞展に《風》が次席入賞する。 私家版「お春瞽女物語りノート」(制作:大西祥治)を刊行。 「お春瞽女物語り展」(上野松坂屋)を開催。 |
1977(昭和52)年 | パリで個展(カルド ・ マティニョン画廊)を開催。 |
1978(昭和53)年 | 「絵日記 瞽女を訪ねて」(日本放送出版協会)、「斎藤真一放浪記」 (美術出版社)を刊行。 ドイツでの個展開催(アキシオム画廊)のため渡欧。 |
1979(昭和54)年 | 「さすらい斎藤真一展」(池袋西武百貨店)を開催。 |
1980(昭和55)年 | オリジナル銅版画傑作集「雪国」(毎日新聞社)、「斎藤真一 さすらい画集」(講談社)を刊行。 |
1983(昭和58)年 | 「一寸昔」・「風雨雪」(青英社)、オリジナル•ミニアチュール銅版画集「走馬灯」を刊行。 |
1985(昭和60)年 | 「ぶっちんごまの女」(角川書店)、 「絵草紙吉原炎上」 (文芸春秋)、「明治吉原細見記」 (河出書房新社)を刊行。 「斎藤真一 明治吉原細見記展」(西武アー トフォー ラムなど)を開催。 |
1987(昭和62)年 | 「絵草紙吉原炎上」と「明治吉原細見記」が映画「吉原炎上」(五社英雄監督・東映株式会社)の原作として上映される。 |
1989(平成01)年 | 「大正ロマンと昭和ロマン 竹下夢二と斎藤真一」展(阪急ナビオ美術館)を開催。 |
1991(平成03)年 | 「第4回郷土作家展 斎藤真一」(倉敷市立美術館)を開催。 |
1993(平成05)年 | 山形県天童市に財団法人出羽桜美術館分館 ・斎藤真一 心の美術館が開館。 「風にうたれ雨にぬれて•••斎藤真一展」 (天童市美術館ほか)を開催。 |
1994(平成06)年 | 9月18日 東京で逝去(享年72歳)。 |
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