越後瞽女日記《絵日記 太夫峠》
個人蔵
- 【内容】
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「それでは、何時も大淵の酒屋さんに前日はお泊まりだったのですか…」
「別にそんなではないようでしたがね…高田の方から来なさる時は、…中ノの方から来なさったようです…」
「中俣って…」 「この山の向うですがね…」
「中俣にはお宿があったのですか?それに横畑では、お泊まりの宿はなかったのですか―」
「…そう〱、中俣は太夫さんとかで…それに横畑もずっと昔は、キイムサ(木右エ門)という家に泊まっていたようですが…」
「太夫さん…と言いますと、名立谷の…田野上にも同じような屋号で瞽女さんの泊ったお宅があるのですが…」
「…」
「それでは…次の日はどちらの方面に行かれましたか。名立谷の方などに…」
「そうだね…。おらーの家の前の道を山の方に登れば峠があって一時間も歩けば東蒲田に出られるけど、瞽女さんは、大淵まで下ってそこから山越えして名立谷の丸田の村に行きなさったようですね…」
私はさりげなくそんなことを聞いてみた。彼女達、…いや瞽女さん達の巡回した道順を記録して置きたかったのだ。
地図を開いてみると、中ノ俣の村は土口から東の方に二里、山中に孤立してあった。それは、まこと辺鄙な所のように思えた。
道順は、土口から桑取川を少しさか登り、西谷内の村から山に入って太夫峠を越えねばならない。
かなりな村のように思えるが、ここにはバスの便もなく、今もって、足よりほかたよるものもないと言う。そして、ここから、上網子、宇津尾、愛の風の村々を経て、山中の道を四、五里歩かねばならなかった。