越後瞽女日記《絵日記 早川》

個人蔵

  • 【内容】
  • 「昼間門付けに出るでしょう。こゝで荷を下して、軽装で沢を渡って(早川のこと)、西山に行ったりしていました。内で二日泊まる日は、次の日湯川内を巡っていたようです。来るのはいつも晩方で、帰るのはたいてい朝でしたね。私達は百姓だから、朝早く田に出かけるでしょう。だから帰りのあいさつは前の晩にして、次の日朝十時ごろ三人でこそ〱っと何時帰ったのかわからなかったです。最後の晩はとてもにぎやかに三味線を弾いたり、話したりで近所の人も一ぱい来ていました。などやらないでばかりでしたね。私など若かったから、「瞽女さん例の早三味線やってくんな」なんて我儘言ったもんです」「瞽女さんは何時も杉本さん三人だけでしたか?」 「いや、戦争前は澤山来ていましたよ。三つ口のかわいい娘、あの娘なんていう名前だったかなあー。そう〱「しまちゃん」と言っていました。あの娘もよく来ましたね。なんだか、其の後お嫁さんに行ったとか」 春治さんのそんな話に、そばにいた「いの」ばあさんは口をはさんで、 「そう〱そう言えば、二、三年前、私、名立の駅で見ましたよ。私しゃー瞽女さんの名前はおぼえておらんけど顔を見りゃーすぐ解るけ」 「男をみつけて、にげてしまう、かまけた瞽女さんもよくいました。瞽女の生活は一生独身ですから、男と関係すると、年落としというきびしい罰があって仲間からはずされるんですよ」 そんな杉本さんの話が思い出され、その、しまちゃんというかわいゝ瞽女さん、どんな人だったのだろうか、そんなことを考えていた。