越後瞽女日記《絵日記 東本町の雁木》
個人蔵
- 【内容】
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キクイさんは…お掛所の祭で、みさおに逢って以来…あんなにれていたので…何か予期したものを感じ心配げに訊ねた。
しばらくして、キクイさんは其の部屋に入ると床をのべて寝ているみさおに逢った。みさおは、キクイさんの声を聞くと、何か堰を切ったように、
「おらーねぇ…肺病だと皆んなが言うの…困るんだ…」と泣きくずれた。「そうだったのかね…」キクイさんは其の時はじめてみさおの病を知ったのである。
みさおは自分の病気がそんなに重いとはつゆ知らず、皆んなについて東頸城の旅に出たが二十日ばかりの山旅で、すっかり疲れきってしまっていた。
塔の輪に着いた時、みさおはもう歩けなかった。ぐったりして、まるで死人のようにやつれ、腕は竹のように細り、自分の足で体を支えることすらもう出来なかったのである。
それで、草間家では、塔の輪の家にみさおだけ休ませてもらい、一足先に高田に帰り、みさおは連れの人達が来るまで、待っていた。
だから塔の輪の家では、みさおの食べる茶碗などすべて別にあつかって、旦那ですら、みさおの前には、近よらないよう皆んなに伝えていた。
あくる日になって、杉本家が高田に帰る途中、道すじでカツさんは、
「はる(キクイの芸名)よ、…おまん、みさおと一緒に昨夜長いこと話していたが、みさおは肺病なんだぞ…」と注意した。
キクイさんは、あまりいい気持ちはしなかったが、そう言われたもののあのように、幼い時から仲の良かったみさおのこと故、彼女に対するいたわりの気持が、何か胸の底からこみあげてきて、遠い時代のみさおの声を懐かしむばかりであった。
その時のキクイは十五才で、みさおは十六才であった。
みさおのことについて…増沢の老婆は…
「あの娘は、いい娘でした。浦本村、中宿の次郎エ門(ジョイムサ)があの娘の生家で <原文通り>